鎮守氷川神社は室町時代(700余年前)の初期(応永年間)の創建にかかる地方(武蔵国)の古社で古来より時代時代に幾度か社殿が修復され再建されて来たが、明治17年に本殿、拝殿が再建された。
大正12年の大震災により拝殿、鳥居が倒壊した為、昭和天皇の御即位の御大典を記念し、昭和2年拝殿・鳥居等を再建し、昭和61年5月25日氏子崇敬者の御奉賛により、新社殿御造営大事業が成された。
御祭神は伊邪那岐神、伊邪那美神の御子である素盞嗚命を又、夫婦神として櫛稲田姫命を主祭神としてお祀りしている。
素盞嗚命が八俣の大蛇を退治したことから、厄祓い・厄除けの霊験あらたかであり、主祭神が夫婦神であることから縁結び、夫婦和合、安産、そして子育ての御神徳がある神として崇敬されて今日に至る。
配祀神としては、日本で最も一番尊く皇室のご先祖である天照大神をはじめ、衣食住はもとより諸々の産業の開運の神々が鎮座されている。
第36世 宮司 鈴木邦房 敬白
鎮守氷川神社の境内には八つの霊験あらたかな小社があります。
創建以来、鎮守氷川神社は地域の中心であり、村人たちの心のよりどころでありました。
時代の必要性に応じて、御神徳や御利益の異なる神社の神霊(みたま)が移されてきたのです。
主祭神であるスサノオノミコトがこの八つの神々に守られているように見えます。
江戸時代に富士・浅間信仰が大流行し、江戸の八百八講と謳われるほど、多くの富士講が組織されました。
そのような中で富士山に行きたくても行けない人たちのために、境内の中央に富士山を模した富士塚が設けられた。
この富士塚に登ると子育て・安産・火防等が心願成就されるといわれております。
七福神の『べんてんさま』。もとは水の神で中世より弁舌徳弁・延寿の神として崇敬され、『人を助けて、人に助けられよ』という教えが知られています。
七福神の『だいこくさま』、または『おおくにぬしのみこと』として知られ、国つくりに御功績があり、医薬の道をさずけ、病気平癒・安産・福の神として崇敬されています。
修験道のご本尊で山のように動じない強い意志を持つことから大願成就・無病息災・災難除けの信仰があります。
菅原道真公は高い学識、教養と徳望をもった平安時代の方で、今日も多くの人々に学問・書道・和歌・受験合格の守り神として崇敬されています。
我が国土を造り給いて諸々の神々を生み出した親神様で、夫婦円満や火防盗賊除・除災招福の守り神として全国の人々に崇敬されております。
『いなり』語源が「稲成」「稲生」であることから、五穀豊穣・商売繁盛・工場安全・家内安全の守り神として広く親しまれています。
草薙剣をもって東夷平定した日本の英雄で武道の神、また火防信仰・天狗信仰があり、除災招福の神として崇敬されています。
鎮守氷川神社には御神木が2本あります。
まず、境内中央の御神木は2本の椋が根本で1つに結ばれていることから縁を結ぶ縁結びの木『夫婦椋』としてまつられ、そして、社殿の裏、右手奥に樹齢四百年以上を誇る欅(ケヤキ)がございます。
枝は社殿に覆いかぶさるように繁り、当神社の御神木とされております。その生き生きとした神聖な姿から、木に抱きつくと『大いなる力をいただける』と伝えられています。
気が枯れた状態(悩み・ストレス・疲れ)、
これを『気枯れ=穢れ(けがれ)』といい、
力をいただくことにより
『元の気=元気』になるのです。
皆様、御神木の力を頂いて『元気』な日々をお過し下さい。
日本を代表する山として、古くから崇められてきた富士山。
富士・浅間信仰は江戸時代に大流行し、江戸の八百八講と謳われるほど町内いたるところで組織されました。
富士山に行きたくても行けない人たちのために、小型富士山「富士塚」が造られました。
当社富士塚は「月三講」という講社が万延元年(1860年)に築造したもので、この山に登ることは、富士山に登ることと同様な霊験に与れるとされ、多くの人々がこの山を訪れます。現在は、パワースポットとして注目されています。
富士塚に登ることにより、安産・子育て・家内安全・厄除け・病気平癒などの心願成就がなされると言われています。富士山の頂上には「撫で犬」が鎮座しており、撫でると母犬…安産、子犬…子育て・子宝、親子…家内安全のご神徳があらたかです。
鎮守氷川神社には、ご奉納頂いた様々な絵画がございます。 ※ご覧になりたい方は、事前にご予約をいただいております
鎮守氷川神社宮司は、当時神道青年全国協議会(全国の若手神職約3000名)の副会長を拝命していて、当会の45周年を記念し、各界著名人をお招きし「神社新報紙面対談」の第1回目にお会いしたのが横尾忠則先生で、それを契機に個人的にお付き合いが始まり、仲間として会食、観劇などご一緒させていただいているうちに意気投合したのがきっかけとなりました。
宮司がいう、「神社は文化伝統の宝庫であるとともに、未来を映す”鏡”的な役割を果たさなくてはならない。」というコンセプトと横尾忠則先生の作品(未来投射的霊力を感じる作品)との合体から何かが生まれるであろう。という意見に、先生が深い理解と誠意で応えてくださり、鎮守氷川神社社務所新築工事竣功に合わせて、平成6年10月20日にご奉納頂いた絵画です。
- 1936年
- 兵庫県西脇市生まれ。
- 1969年
- 第6回パリ青年ビエンナ-レ展版画大賞他受賞多数。
- 1972年
- ニューヨーク近代美術館で個展を開くなど国際的に高い評価を受ける。
- 1981年
- グラフィックデザイナーから画家に転向。
以後パリ、サンパウロ、バングラデシュ、ベネチアの各ビエンナーレに招待出品。
絵画、版画のほか、陶版、立体作品、ビデオ、デジタルアートなど幅広く製作を展開している。
ニューヨーク近代美術館、ボストン美術館、東京国立近代美術館他内外75の美術館に作品が収蔵されている。
全体から受ける印象は、神社という概念から逸脱することなく、日本と世界。宇宙と地球。過去と未来。時間と空間。天と地。正と邪。月と太陽。聖と俗。かみとひと。等々「対象の均衡」ともいえるバランスの妙が、わずかな空間に堂々と描かれているように見えるのは、私だけではないと思えるが。横尾氏は言う。「人それぞれの感性で見て欲しい。私の作品に説明はいらない。」・・・と。
宮司敬白
・中央に当社鳥居。神域、聖域の入り口を示す。
・左上のぶどうは、世界に共通する「豊穣」を表す。
実り、酒を示し、日本の豊穣は、鳥居に掛かる「シメ縄(稲)」となる。
・右上の竜は、当社手水舎の水口。
・雲の上に太陽(天照皇大御神)、下に月読命、その下に須佐之男命、これらは、兄弟神にて、三貴子と呼ばれる。
・太鼓と祓は、御神前のもの。
・左の御神札(おふだ)は、当社のもので、右の御神札は、伊勢神宮内宮のものをモチーフにしてある。
・左の御神札の下には、当社の御朱印が押されている。(宮司が一枚ずつ押し、お祓いをしたもの。)
・中央下、大願成就の文字が見えるもの、参道左に立つ、江戸時代に作られた「灯籠」の台座である。
・須佐之男命が乗る馬は「御神馬(ゴシンメ)」と呼び、神の使いである。
・バックの五色(緑、黄、赤、白、紫)は、陰陽五行(木・土・火・金・水)を表す。
・大願成就の左の文字は神代文字で、対象の右にその書き下しがある。
・・・八雲立つ 出雲八重垣 妻籠(ツマゴミ)に 八重垣作る その八重垣を・・・
という和歌で、須佐之男命が、妻(櫛稲田姫命)を娶るときに呼んだ日本最古の和歌とされている。
日本古来の誇りうるべき精神文化の復活を期するために・・・。政治、経済の乱れを一蹴するために・・・。
一部44万円にて授与しております。
★電話注文のみのお申し込みとなります。 TEL:048-252-5483
・氷川神社の御祭神『素盞嗚命(スサノオノミコト)』と『稲田姫命(イナダヒメノミコト)』の夫婦が登場している。
そのスサノオノミコトが、勇ましく剣を右手に『高天が原』から大日輪をバックに颯爽と地上に降りてくる。
また、それを見るイナダヒメノミコトの眼差しは、「期待」に満ち溢れている。
『暗雲立ちこめる現状』といえる今の日本に、《勇神》が舞い降りる。
・版画にある5つの英語の意味
Faithful ・・・・・・・ 忠実な。誠実な。忠義な。
Eternal Life ・・・・・・ 永遠の命(平和)。
Purification ・・・・・・ 清めること。浄化。
Purifierd Soul ・・・・・ 浄化された霊(たましい)。
Spirit of the Sun ・・・・ 太陽のこころ(精神)。
・この版画には、ご祈祷を済ませ3ヶ所にご朱印が捺されています。
「心の原風景」をコンセプトに神社を中心に活動を展開して行きたいというお話を賜ったのが始めての出会いでした。
「スターリーマン」という幸せの風船を届ける役目を持つ主人公と、私達神職の役目と波長が合うことから意気投合。
今回「奉納絵画」第一作目として―鎮守氷川神社の原風景―と題して奉献していただきました。
スターリィマンは 美しい日本の心の原風景を 未来へと届ける旅をしています。
みんなの夢を叶える9つの風船に たくさんの感謝の星を輝かせながらこの道は鎮守氷川神社へと尊い輝きが室町時代より受け継がれ稲穂の恵みの風になって温かいきずなをつなぎながらいつまでもいつまでもみんなに元気を みんなに幸せを 祈り続けていきましょう。
絵:はせがわいさお お話:はせがわ芳見
- 1956年年
- 福島県会津若松市に生まれ。
- 1979年
- 日本大学芸術学部美術(現デザイン)学科卒業
二科展入選/中美展入選
ヤマハラケット海外向けポスター(現在オランダのスポーツ博物館に展示) - 1980年
- 第8回サロン・デ・ボザール展入選
- 1983年
- 東京ディズニーランドのパビリオン壁画
- 1992年
- 資生堂イベントキャンペーンポスター
- 1996年
- 埼玉新都市交通・ニューシャトル「若田光一さん宇宙飛行記念乗車券」イラスト
- 2002年
- 銀河高原ビール「氷川きよしボトル」イラスト
- 2003年
- ミキハウスグループより「Isao Hasegawa」ブランド発売開始
- 2010年
- 「全会津文化祭~会津エンジン05~」講師
この作品は、新吉原の女芸者が「俄狂言獅子舞」を演じて回る艶やかな場面です。
「俄」正しくは俄狂言、安永天明頃新吉原で八月一日から末日まで、男女の芸者がおもい思いに扮装し、男は洒落を加えた芝居狂言、女は踊りを主とし、仲町両側の茶屋を回り、一軒毎に一狂言をし、女舞台と男舞台相混えて賑やかであったといわれています。その状況を再現しました。
田村 顕衣(和紙人形作家)プロフィール
―私流に生きる―
昭和6年生まれ。
下野市石橋町在住。
郷土の伝統産業『烏山和紙』を使い創作する作品は国内外で高い評価を得る。
失われつつある日本の古きよきものへ、田村さんは切なくも温かいまなざしをむける。
それはこの世に生をうけ、育まれてきた自分の「根」と重なるからだ。
「それらをすくい上げ、人形に表現することでのこしていきたい。」
そんな思いで様々なテーマを取り上げ、田村さんだけの世界を創りあげてきた。
そして、かつて自分を慈しみ育ててくれた人たちの思いの「根」を、作品の中でどうしたら表現できるだろうかと思い続けてきた。
「根」は田村さんの中にしっかりと根付き、育っている。
「生まれてからこれまでの、どんな人生の経験もむだになることはないの」とおっしゃるように、自分の経験そのものを表現し、人形で伝えることがその答えなのであり、田村さんだけの“私流”なのである。
参考:『fooga』2007年1月号